性的虐待‥性虐待はなぜ起きる

私は実父親に幼稚園から中学2年まで性虐待を受けて育ちました。一見普通に見える家庭内で起こった犯罪。私の家庭で何が起こっていたのかを冷静に振り返りこれからの子供達を性的虐待から守ることが出来るのか、不幸にも私と同じ様な体験をしてしまった人達には何が必要かを考えて行きたいと思います。

ブログに訪れた方はまずこちらをご覧下さい。

何かに見えない力に仕組まれたような

今年もあとわずが、1ヶ月を切りました。

一年って本当に早い!!歳をとればとるほど早くなるとよく言いますが本当ですね。これから益々早くなると思えば、私は後何年、健康に子どもたちの迷惑にならずに生きていけるのだろう。あっと言う間にそんな時が来てしまうのか。今が50前だから。。。80歳までの30年間長いようですぐなんだろうな。それまでに何が出来るのだろう。って

 

先日、12月3日朝日新聞朝刊で

 

シリーズ『子どもへの性暴力』

 

に私の受けていた虐待などの生い立ちを記載してもらいました。たくさんの励ましのメールありがとうございます。

 

 

 

こちらで公開しているブログを書き始めた頃。本当にビクビクしながら、公開ボタンを押すのに何日も何時間がかかったり。このような内容のブログ、本当は書いちゃいけないの?と思い何度も何度も自問自答を繰り返しました。

 

親との関係もとても悩みました。私がこうしてブログを書いたり、新聞や雑誌に出たりすることで両親たちはどうなるのだろうかなど。

 

成るように成る!私は私の目的を果たしたい。今まで長い間、沈黙を貫いて生きてきたのだからこれから残りの人生は自分の思うように生きたい。確かに私の行動を良くなく思う方もおられます。何が正しく正しくないのかなんてわからない。わからないのなら自分の決めた道を進もう!

 

 

『外から見ると幸せそうな家庭の中で実はとんでもない事が日常的に当たり前に行われている事もあるという事実を知ってもらいたい。そして少しでもおかしいと気づいたら、しっかり子どもの目線で見て欲しい。社会全体で子ども達を育てたい。子どもの頃、被害にあいそのまま心の傷を周りから無かったことのように放置され大人になった人たちがもう二次被害に合わないような社会を作りたい』

 

そんな思いで、でも何からどう始めて良いのか分からず書き始めたブログ。そのブログが少しずついろいろな方の目にとまり少しずつ広がりを見せていく事ができて、朝日新聞記者さま、カメラマンの方、記事を読んで下さった方々に本当に感謝しています。

 

今回の朝日新聞さんの取材は夏くらいに受けたもの。新聞が出たのは12月3日。12月3日は私が二十歳のときの1度目の結婚記念日。何という偶然かな。

 

私は高校を卒業して実家を出ました。大阪で一人暮らしを始めてほとんど気持ちのある会話を父とはしていませんでした。結婚式の当日はバージンロードを父と歩き(それが当たり前と拒否できるものではないと自分自身決めつけていた)神父の前で新郎の横に並び結婚の誓いの言葉を言うごく一般的なチャペルでの結婚式。

 

その後、両家親戚のみの披露宴。父は披露宴の余興でひょっとこメイクをしてどじょうすくいを披露しました。親戚一同大爆笑。

私もその姿を見て『こんなに私の結婚を祝福してくれて。自分を三枚目にして盛り上げてくれている。こんなに私の結婚を喜こんでくれる父親なのだから、もう全てを水に流そう』と怒りを封印した日。

 

自分の心に蓋をした日。父も母もこんな素晴らしい家族はない!と性虐待は無かったことにした日。

 

私はそれから30年近くの間に子どもを育て離婚してまた別の人と再婚して、その間にうつ病になったりいろんな事があったけど、いろいろと考えをはさらせて自分なりの答えを見つけました。

 

その長い時間の間、私の勝手な期待から父も父なりに私とのことや自分自身の性癖に後悔をし苦しんだ時間だったのであろうと決めていました。

 

そんな期待は一方的な妄想で、父から出た言葉は、口では謝りはするけれど「どうして嫌なら嫌だとはっきり言ってくれなかったんだ!この件に関して一番の被害者は母親でお前と俺は共犯者」私は半ギレ状態で反論しました。中学生の私が共犯とは大丈夫?本当にそう思ってるの?そんなやりとりをただ黙ってうつむいて聞いているだけの母。本当に虚しかったなぁ。

 

八十八ヶ所を周りお経を唱え弘法大師さまに頭を下げている。毎日、朝にお経を唱え懺悔している。それが私たち夫婦のできる精一杯の償い。って・・・

 

いやぁ、頭を下げる相手は目の前の私でしょ?

 

それが今から2年前。そこから私は二人と話をしていません。

 

自分の弱さを認めずに正面からは受け入れようとしない。

 

私の実家は朝日新聞です。今回の記事はさすがに父の目にも止まったと思います。

 

お願いだから自分自身に向き合って欲しい。どうしてこのような事をしてしまったのか本気で考えて欲しい。

 

令和元年12月3日が私たち家族の再築記念日になりますように・・・

 

あなたが死ぬまでに一度くらいは心の底からの娘の笑顔を見せてあげられますように。