性的虐待‥性虐待はなぜ起きる

私は実父親に幼稚園から中学2年まで性虐待を受けて育ちました。一見普通に見える家庭内で起こった犯罪。私の家庭で何が起こっていたのかを冷静に振り返りこれからの子供達を性的虐待から守ることが出来るのか、不幸にも私と同じ様な体験をしてしまった人達には何が必要かを考えて行きたいと思います。

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一昨年の気づき

 こんにちは、久しぶりの更新です。

最後に更新したブログ、母親がやっと理解してくれましたー!から一年近くが経とうとしております。 じつはその直後、「あー、、まだまだ全然わかってくれてない!」という出来事がありまして・・・今現在は距離を置いています。

 

引っ越しして、連絡もほとんど絶っております。出来事については詳しくまた今度書きますね。

でもね、この距離をとることが今の自分にとってとても必要なことだったと痛感してます。毒親から受ける心の支配から解き放されるためには親からは米一粒ももらわない、愛情を求めない、一方的な親の愛(見返りを求める愛)は受け取らない、自立することが本当に必要だったことなのだと気づかされました。

 

自分の苦しみを長引かせていた一番の原因は私自身が親に依存していたこと。

 

精神的に依存していました。自分の価値観から作り出した、こうだったらこうするのが当たり前(私の中では性虐待を中学2年で母親に打ち明けた時、父親と別居して子供に安心できる居場所を与えること)、それをしてくれないことは、私を受け入れてくれてない、愛されていない、悲しい、だからお願い、私の気持ちを分かって!理解して! 母親なんだから当然わかるでしょ!みたいに、わたしの中での理想の親像を母親に求めていたことが、性虐待からの苦しみを長引かせていたことに気づきました。

 

母親の個人を尊重してあげられていなかったことが原因でした。

 

母親にもいろんなタイプがいて、自分より子供が何より大切(⋈◍>◡<◍)。✧♡と母性の強い親もいれば当然、逆のタイプもいる。

 

自分の親が逆のタイプなんて思いたくないし認めたくない。そこが苦しみの原因だと気がついたのですが・・・

 

それをじゃあ母親を許していままでのように話ししてなんてことは出来んーーー!!!

だって私そんなに器大きくないもーーん!!!

 

私に安全、安心できる居場所を与えてくれなかった母親をとても憎んでます。でも、憎んでもいいんだって、憎しみをもつ自分を許すことにしました。

 

今までは憎しみの気持ちは醜い感情だから持ってはいけないと思っていたことにより、更に自分自身の首を絞めていましたw

 

一生懸命、母の理解を求め、わかりあう事で憎しみの感情をなくしていかなければいけない。年老いていく母の老後をやさしい気持ちで見てあげなければいけない、と決めつけていました。

 

世間一般の常識、親から長い間刷り込まれていた価値観に縛られて苦しんでいる自分を解放しました。

 

「安心して過ごせる家庭をくれなかった母に、安らかに娘と過ごせる老後なんて必要ない。それは施設の方にお任せしましょ。愛に恵まれた家庭に育った人たちは、それは親不孝だと非難するでしょう。でも、うちはそれに当てはまらない。もらった愛情分をお返ししたら、十分な親孝行。

 

私が今まで父親からの性虐待をうけたことをあなたが守ってくれなかったせいだって責めたりしたことは一度もなかったでしょ? 警察にも周りにも言わなかったことで、70歳まで幸せだったでしょ?  それは私のあなたに対する愛情だよ。もう十分だよね」って。

 

私のような重度の虐待を受けて大人になった被害者の方たちには、親を放棄する権限が与えられる気がします。

 

あっ、ちょっと話がそれちゃったかな。そうそう本題は、私は親からの愛を求めすぎていました。ってことです。

 

母からの愛がなかったわけではないんですが、私が求める愛の量に届かなかったってことです。私が受け取りたい愛の量が100とすれば、私の母の愛は私にとって30くらい。

 

でもそれは、私の愛情測定器なのです。母の測りでは100すべて愛を与えたよ、になっているだけのこと。そこを足りなかったと言われても母にはどうすることもできない。責められてもこれ以上どうしろって言うのよ、になっちゃいます。交わることのない平行線で。だから考えを180度転換~~~!!

 

母は十分愛してくれていた。母の中では100の愛! 私がそれで満足できなかった。でも、そこは譲れない。

 

個人個人、子どもに対する価値観は違うんだけど、そんな子どもに対する愛情の薄い人とは、近くにいたくない。私の器がもう一回りももう二回りも大きくなり、許すことができたら連絡取ろうと思います。それが親の生きているうちなのか、死んでからなのか、来世になるのかはわからないけど。それでいいんだな、と思うようになりました。か、母の愛が濃く変化して私の器に入ってくれるか。

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母なりに変わろうともしてくれているところもあるみたいで、家族間の問題を親身に聞いてくださる、金剛福寺の住職さんに夫婦で相談にいってきたと連絡がありました。娘さんのお話も聞きたいと言ってくださっているので行ってきてと。

 

昨年、孫(私の息子)に「今のままじゃあ、ひ孫の顔見せたくないわ」って言われたことが母にはとてもショックだったらしく、やっと第三者に相談しようとなったみたいです。

 

来月2月に私もお話をぜひ聞いてもらいたいので、予約をとりました。またそのことも書きたいと思います。

 

と、こんな感じで母との関係を色々と考えさせられた一昨年でした。住職さんにどのように性虐待を伝えているのかによっては、すごく前進を感じられる年になりそうな気はしますが、これまで何度も期待しては落胆して傷ついてきたので期待しすぎないように。往復車で10時間かかるので。慎重に。。。

 

父親に対する気持ちも変わりました。より一層遠い存在になりました。以前はやはり私への愛は存在するのではないのか、と信じたい気持ちがありました。愛があるのなら許してあげなければいけないと思い苦しかったのですが、今はそんな幻の愛を追うことはなくなりました。 

 

そこにあったのは父性愛など存在せず自分の所有物、性のおもちゃへの愛着だけだったのだと受けとめています。 

自分の娘を性欲のはけ口にする、人間というのもはばかられる生き物。幼児性愛者が同じ家庭内にいて、私の体や心に寄生虫となりむさぼり食ってたんだから私にはどうすることもできずに仕方なかったなぁって。

 

恨むことも、憎む気持ちを持つことすらもう少なく、この世から存在しなくなっても「へェ、やっといなくなったんだー!よかったねー!この世から悪人が一人減ったね」くらいの感情でいいんだって思っています。

 

信頼を裏切られたと思えば辛いですが、もともと信頼するように父親から刷りこまれていただけで、私自身尊敬できるところはなにひとつなく。幼児性愛者という疾患の人が、間違って行動に移してしまい、罪を犯した、と思えばそこには加害者と被害者という関係性だけなんだ。と・・・

 

もらった愛は0なんだから私が返す愛も0で良いんだって思ったら、楽になりなした。逆に今までの私の愛返してよ!って思うようになりました。

 

父親は僕も困ったときに金銭面で助けてやったじゃないかというと思いますが、そもそもあなたに今の地位にあるのも、私が他言しなかったお蔭だよ。わかってる?て。今、あなたの周りにあるものすべてが、他言しなかった私が父親を慕う愛の証なんだよ。って。

 

 

 

私達、性虐待被害者は性虐待に限らず児童虐待被害者は親からどれくらいひどいことをされようとも親を愛し、親を許そうと、もがき苦しんでいます。そのうえ親を許せない自分を責め続けています。

 

どうか被害者の皆様、もう自分を責めることはやめにして、自分の今湧き出てくる感情を素直に受けとめて、自分を許してあげてください。

それがどんなに醜い感情でも、あなたが悪い訳じゃない。周りの人にはなかなか理解されない憎しみだったり、悲しみだったりは、私が悪い訳じゃなく、そう思わせる相手が悪いのだ、と思ってもいいのだと思います。

 

神様が判断をして、悪いことには必ず天罰を下してくださると私は信じてます。だから、そんな悲しい気持ちにさせる相手には距離をとり、

悲しい気持ちにさせる相手に対しては自分本位になり、やりたいように振る舞い、自分が幸せになれることだけを考えていけば良いと思います。

 

親と距離を取りたがっている友達、パートナーがいる方はどうかお願いです。やさしく見守り寄り添ってあげてください。散々自分を責め続けている被害者に、親はあなたを愛しているのだから許してあげたらとか、認めてあげたら、忘れなよ、などは言わないでくださいね。そうできるものならしたい、と毎日願ってますから。親を嫌うのにはそれだけの理由が必ずあります。そこをどうかお察しいただければ、と切に願います。

 

最後まで読んでいただきましてありがとうございました。

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宮本ゆかり