三十二歳
復帰を目指して雇ってもらえる美容室を探していると、以前勤めていた美容室が支店をだすので店長をして欲しい、という話を頂きました。悩んだ末、引き受けさせてもらうことにしました。
一年前に仕事を辞める時、うつ病の影響からお客さんと接するのが怖くなっていたことと、一年間のブランクとで最初は毎日が不安でしたが、そんな気持ちは隠し、とりあえず三年は岩の上にへばりついてでも一生懸命頑張ろうと決めました。
少しづつお店の売り上げもあがっていき、それに比例するように、私は少しづつ自信を取り戻していきました。一年後には以前の自分に戻り、うつ病は完全に治りました。お店を軌道に乗せることができなかったらと思うとゾッとします。この時は本当にお客様に助けていただきました。それに仕事に集中してのめり込めたのも、母親が子ども達の面倒をみてくれたおかげです。子供達が風邪を引いて熱を出した時も、母親はいつも一生懸命看病してくれました。
子ども達はすくすく素直に育ちました。異性の兄弟ですがすごく仲が良く喧嘩もするけど、いつも一緒に遊んでました。
娘小学3年生
ショッキングなことが起こりました。娘が私に「おじいちゃんの家で寝てたら、なんかお腹の辺りが温かいと思って目が覚めたの。そしたらおじいちゃんがガサガサって離れていくの」と言うのです。
私は息が出来ないくらい怒りと憎しみがこみ上げてきました。
それは私が小学生のときに見た光景と同じです。大人になっても何度も何度もフラッシュバックで見て吐きそうになった光景です。その時の手の生温い残留感が昨日のことのように感じて、煮え繰り返る怒りや悔しさでいっぱいいっぱいになった光景です。
精一杯の冷静を装いながら「そんな風に思ったのはこれが初めて?」と聞き返しました。娘は前にも一度温かいと感じるときがあったと言うのです。
わたしは娘におばあちゃんかお兄ちゃんが一緒のとき以外はおじいちゃんちにいったらダメ!と言いました。娘は理由を分からないながらもわかったと約束してくれました。
お兄ちゃんにも、妹と出来るだけ一緒にいて欲しいと頼みました。
母親にも話があるからと二人きりの時、娘から聞いたことを教えました。蒼白な顔で信じられないと言いながらも話を聞き、責任をもって孫に辛い思いをさせることがないように、常に様子を気にかけると約束してくれました。あまりのショッキングな出来事でどうしたらよいのか考える時間が欲しかったので、娘が私に相談してきたことは父親に黙っていて欲しいとお願いしました。
私は引っ越しをするしかないと思いました。(私達親子の家と実家は隣同士です)
それから2、3日後の夜、父親が怒鳴りながら物凄い剣幕でわたし達の家に入ってきました。娘の名前を叫びながら一階のリビングにいる私のところへ来ました。子ども達はそれぞれ2階の自分部屋に上がっていました。冷めた口調で「もう2階で寝てるけど、何か?」それから父親は罵声をあげながら2階に上がっていきました。わたしも慌てて2階に後を追って駆け上がりました。子ども達は声と物音で廊下に出てきたものの、あまりにもの凄まじい父親と私の怒鳴り合いにびっくりして部屋に入り、泣きじゃくってしまいました。
階段を上がりきったところで揉み合いになり、父親と目が合いました。その目は真っ赤に見開かれ、そのつぎの瞬間、向かい合わせになった私の両肩をつかんだとおもったら階段の下に向かって突き落としました。
父親はそれから気が済んだのか、何か捨て台詞をはきながら、自分の家に戻っていきました。私は頭を壁に打ちつけ、しばらく状況が飲み込めず、呆然と尻餅をついた状態で座り込んでいました。
言わないようにお願いしたのに…
わたしは父親を殺してやろうと思いました。凶器を持って実家に向かおうと思いましたが、わたしが捕まってしまったら娘を守ることが出来なくなると思い、なにも持たずに隣の実家にいきました。
そこでは目を疑う光景でした。父親と母親は何もなかったかのように笑いながら会話をしていました。母親はまたしても父親に言いくるめられていました。「その年頃になったら女の子はみんなそんな妄想をするのね。性が目覚めはじめて」って…笑いました。
なんでわたしはこの二人の子供に産まれてきたのだろうかと・・・
どこまで私を傷つけたら気がすむのでしょう。私の一番大切な娘に私と同じ苦しみをまた味あわせることが何故できるのでしょうか。
そんなことがあったとしたら私は自分の時よりも辛いです。間違いなく父親を殺すでしょう。
私の中で、父親も私に性行為をしたことを後悔していて、ずっと私と同じように苦しんできたに違いない、母親も私と同じように毎日無理をして、笑顔で自分の悲しみを隠して生きているのだろう、だから私は許して過去を忘れる努力をしなければ。と思い生きてきました。
そんなことは私の妄想で、今回のことで父親は後悔などしていないし、母親は無理に笑顔を作って頑張ってきたわけでもなかったことが証明されました。私の独りよがりな妄想でした。自分が親に愛されていないと思うことはとても辛く、なかなか受け入れることのできないことです。辛いからといって、私は現実を受け入れず、逃げていました。私はもっと警戒するべきだった。大切な娘を危険にさらしていた。どうして子供の頃と同じように信用してしまっていたのか、と後悔しました。
馬鹿なわたし
この時上の子は小学5年。引っ越ししようというと、嫌がりました。学校が変わるのが嫌だと言いました。小さい頃から引っ込み思案な子で、新しい学校で友達が出来るのかどうか、私も心配でした。
下の妹は引っ越しに興味を持ちました。してみたい、という気持ちもあったみたいです。お兄ちゃんにはじっくりと言い聞かせるつもりで、まずは物件を探さなくてはと思い、いろいろ調べました。どうにかやっていけそうなところが何軒かありました。
子ども達はなにも事情がわかっておらず、「お母さんが引っ越しするって〜」と無邪気に母親に言ってしまいました。
母親は引っ越しに反対しました。私が必ず娘の側にいるから、お願いだから引っ越しはやめて欲しい。と言われ、馬鹿なわたしはまた信じてしまいました。
何回も信じて何回も裏切られ、その度に傷つき、それでもまた信じて…
それからひと月後くらいでしょうか。わたしが帰ると娘と父親が2人で実家のリビングにいました。母親は買い物に出ていて、お兄ちゃんは友達と遊びに出ていて。結局こうなるのです。喉元過ぎれば熱さ忘れるということでしょうか。
私一人がいつも一人芝居をしている感じです。娘にまた何かあったら絶対私に教えてね、と言うことくらいしかできませんでした。
娘にはそれ以上のことはありませんでした。
先日、私とおじいちゃんのことを娘に打ち明けました。娘に三年前にすでに知っていた、大学一年の時、私の手紙が目につき、読んだと言われました。私が同じ被害に合った方の本を読み、そちらへ手紙を送ろうと書いたものでした。知ったときに受けた娘の気持ちを想うと、本当にこんな母親でごめんなさいと謝ることしかできません。三年も前から知っていて、言わずにいてくれたこととに感謝と成長を感じて、胸が熱くなりました。
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