性的虐待‥性虐待はなぜ起きる

私は実父親に幼稚園から中学2年まで性虐待を受けて育ちました。一見普通に見える家庭内で起こった犯罪。私の家庭で何が起こっていたのかを冷静に振り返りこれからの子供達を性的虐待から守ることが出来るのか、不幸にも私と同じ様な体験をしてしまった人達には何が必要かを考えて行きたいと思います。

ブログに訪れた方はまずこちらをご覧下さい。

『エクスポーズ 暗闇の迷宮』原題、神の娘について

このところゆかりさんがお仕事多忙なため、僭越ながらノッポのペコ姉が続けてアップさせていただきます♩



今回はキアヌ・リーブスの映画です。キアヌ・リーブスが刑事役となって事件の犯人を追うサスペンス。人によっては駄作だという人もいるようですが、私はとても興味深く、衝撃を持って観ました。

実は映画チャンネルのテレビでみたので、どういう内容か全然知らずにみたのですが。。

主演はキアヌというより、ほぼアナ・デ・アルマス。この女優さん、好きなんです。

「世界で最も美しい顔100人」で9位に選ばれた女優。『ブレードランナー2049』でロボットのようなホログラムの恋人役を演じた美女、といえばわかる方もいらっしゃるかと。

「キュート」を絵に描いたような女優さんです。

『エクスポーズ 暗闇の迷宮』ではまったく印象の違う貧しく、信仰深く、清楚な女性の役を演じていますが、やはり彼女の美しさが映画の大きな魅力になっています。

人によってはラスト一箇所だけフラッシュバックを起こす可能性があります。

でも、私はいい映画だと思います。最後に余韻があって、何度も噛み締めてしまうシーンも。

「エクスポーズ」には「暴く、晒す」という意味があるようで、刑事役のキアヌ・リーブスが追う殺人事件の謎と共に、明かされる真実が重複的に隠されています。

最後に刑事自身も自分が信頼していた相棒の裏の顔を知ることになり、新たな殺人事件とともに、アナ・デ・アルマス演じる女性の隠されていた歴史が暴かれます。人とあたたかい交友関係を持ち、一見ふつうのに生きている人の中に、二面性があるんですね。

まったく別の物語の2つの点がつながって明かされる衝撃の真実。私は何度も巻き直して確認し、そういうことだったのか、と納得し、あちこち感じ入るものがありました。

さらっと描かれているシーンや摩訶不思議なシーンに小さなサインや伏線が張られていて、つなぎ直すと色々と見えてきます。

主人公のイザベルはまじめで優しく、両親ともうまくやっています。家庭内ストックホルム症候群、記憶の消去と解離、インナーチャイルドの空想が入り混じったような内容で、映画を見ている人も、見せられていたのは彼女が見ている世界だったのか、と気づくのは最後です。

恋人を亡くして実家に戻った主人公は、一見、平和に両親と食卓を囲んでいるようにみえますが、そのあとなぜか洗面所で涙でくしゃくしゃになっているシーン、母親が台所でお皿を洗いながら、父と娘が会話する声になぜか不安げに耳をそばだて、さりげなく中断させようとするシーン、最後に夫が殺され、嘆き悲しむ母親を主人公がぼんやりと冷めた目でみるシーン、などから、じつはこの母親が性虐待を知っていたことがほのみえます。

とうとう起きてしまった悲劇。夫の死体を前に泣き続ける母親の姿から、傷ついた娘を気遣いながらも夫を愛していたのだということがわかります。優しいけれど、弱い母親です。

原題はDaughter of God(神の娘)。

これには、なるほどなあ、と思いました。『エクスポーズ 暗闇の迷宮』なんてわかりずらい邦題よりも、はるかにテーマが明快でよかったのに、と思います。

ふつうの人は体験しないことですし、一般受けもしない映画だとは思いますが、性虐待の「記憶の乖離」に経験のある方には、よくわかる映画です。

こういうテーマを映画化していただくことで、現実に起きていることでもある、ということを広く知ってもらうこともできるのではないかと思います。

ところで性虐待を受けた女性は、不思議な透明感がある、という記述を何度か目にしました。いつまでも純粋さがなくならず、少女のままのような不思議な雰囲気があると。

このアナ・デ・アルマスもまさにその感じを表現できる女優さんでリアリティを感じます。穢れているようで、穢れていない。心の成長が止まってしまうからだという側面もありますが、ほんとうに心の濁りがないのだと思います。

同じ体験者の方にお会いしても、よく感じることです。必死で家族を守り、良い子でもあろうともしますからね。そういえば私も小学生の頃、革張りの古い聖書を枕元に置いて、「天にまします我らが父よ、願わくば、、、」と、毎晩お祈りしていました。その頃の私にも、こういう純粋性と解離があったのだと思います。

性虐待で自分が汚れていると思ってしまう人は多いですが、ほんとうに穢れてなんかいない。むしろいくつになっても、少女のまんまなんじゃないかな。間違いなく、神に愛されている娘たちなんだと思います。ビデオになってると思うので、機会があったら観てみてください。

穂積純さんの本『拡がりゆく魂』にも、性虐待を受けた人で、天使的な人に何人も会ってきた、と書かれ、その天使性について分析されています。

親に愛されなかった人は、神に愛されている。これは真実だと私は思っています。穢れるどころか、むしろ過酷な運命の中で磨かれていく、尊い魂だと思うのです。