性的虐待‥性虐待はなぜ起きる

私は実父親に幼稚園から中学2年まで性虐待を受けて育ちました。一見普通に見える家庭内で起こった犯罪。私の家庭で何が起こっていたのかを冷静に振り返りこれからの子供達を性的虐待から守ることが出来るのか、不幸にも私と同じ様な体験をしてしまった人達には何が必要かを考えて行きたいと思います。

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性虐待トラウマによる後遺症②・・・わたしの場合

三十歳

 

子ども達が少し手を離れ上の子が7歳、下の子が5歳のころわたしは恋をしました。メル友募集からメールの交換が始まりました。年下の男の子です。わたしはそのとき三十歳。その男の子は二十歳でした。相手の人はとても十歳も歳下とは思えない落ち着いたメールでした。

 

たわいも無い日常のことをメールしていくうちに淡い恋心のようなものが芽生えてきました。どちらからともなくメールの内容が次第に恋人同士の会話のようなメールに変わっていきました。毎日、何通もメール交換しました。メールの返信が遅いとき私が相手をなじるような問い詰める文面のメールを2、3通続けて送ったときも相手の返信は怒ることなく

「ごめんね、仕事で返事遅れたよ」

「こっちこそ問い詰めてごめん」

「返事が遅れた俺が悪いんだから謝らなくていいよ」

と私のわがままに腹を立てることなくメールの上のことだけですがその都度私の承認欲求を満たしてくれました。私は今までお前が悪いとしか言われたことが無かったので初めて自分が認められたような気がして彼に夢中になっていきました。

 

メールの交換を始めて二ヵ月位経った頃どんな人なのかすごく会ってみたくなり衝動的に新幹線に乗って会いに行ってしまいました。実際に会ってみると全く目の前の男の子に恋心は沸きませんでした。メールのイメージとは全然違うまたあどけなさが残る男の子でした。職業柄、初対面の人と一対一で話すことは慣れているのですが何をしゃべればいいのか困り凄くぎこちない会話になってしまいました。私はまた一人ぼっちになったような悲しい気持ちのまま新幹線に乗りました。帰りの新幹線の中いつものような包容力のある文面のメールがきました。その時私は凄くホッとして涙がこぼれました。わたしは本人でなくメールに恋をして依存していたことに気がつきました。

 

それからもまた毎日メールの交換をしました。半年ほどしたある日急にぱったりとメールがこなくなりました。リアルな彼女が出来たかなにか理由があったのでしょうがぱったりと連絡が取れなくなってしまいました。彼からのメールに依存していた私はメールを毎日待ちました。過去のメールを何回もみてどうにかして心を落ち着かせたかったけど、もう彼からのメールが来ないと思うと涙がポロポロ落ちてきます。

 

このことをきっかけに私はうつ病になりました。今まで甘えることを知らずに生きてきてここにきて甘えることを知ってしまいその対象のメールが来なくなり孤独に打ちひしがれてしまいました。今まで我慢してきたことが一気に溢れ出してしまいました。

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うつ病

 

私の思考は停止しました。なにも手が着けられず毎日当たり前に作っていたご飯が作れない。本を読んでも始めの1行から進めない。テレビの内容も理解できない。毎日が無気力で朝おきて何から初めて良いのかもわからなくなりました。普通の毎日の生活がもやの中にいるように見えなくなっていきました。夜もまともに寝ることが出来なくなり夫からの要求に応えられなくなりました。

 

常に孤独で子供達に愛されてることも忘れかけていました。胸の奥が重く苦しく死にたいけど、死ぬ方法も考え付かない何もしたくない。病院に行かなければと思いましたが一人で病院に行く気力もなく母親に「私、うつ病かもしれないので病院に連れて行って欲しい」と頼みました。
うつ病とは気持ちの持ちようでどうにでもなること。自分がうつ病だと思えばうつ病だし・・しっかりしなさい。」

「しっかりしたいけど、未だに過去の父親との肉体関係が私の頭から離れずその辛さから抜け出す方法がわからない。私も誰かから愛されたい」と母親に気持ちを打ち明けました。

 

その時、母親は初めて聞いたようなリアクションでそんなことがあったのかと驚きショックで打ちひしがれた様子を見せました。今は父親が仕事で大切なプロジェクトを任されているからそれがひと段落したら別居して私達三人(私と息子、娘)と一緒に生活を始める。今まで出来なかったあなたへの愛を償う。と言い出しました。

 

私はその様子を見て拍子抜けしたような感じになりました。中学生の時私が母親に打ち明けたときは私の言葉が足りずほとんど伝わって無かったのだろうか。私は母親に裏切られた気持ちを持ったが母親は何があったのかを知ることが出来ずにあの時は離婚をしないと言ったのだろうかとやっと母親の愛情を見たような癒された気持ちになりました。

 

しかしまた次の日から何も聞いていないような態度でそれ以来、別居や離婚などの話は一度も母親の口からは出ることはありませんでした。

 

私もうつ病になることは何処かで恥ずかしくいけないことだと思っていたので病院へ行くことは諦めました。

 

晩ご飯の買い物に行ってもメニューが思いつかず普通なら30分程で済ませれていた買い物が一時間お店の中を歩き回ってもまだ買い物かごには何一つ入ってないような始末です。

 

夫に対しては思いやりの気持ちが持て無くなり価値観の違いなど全てにおいて嫌になってしまいました。三十一歳のとき子供達二人は私が育てること約束をして離婚しました。

 

結局、私は夫に体調が悪いことも子供の頃のことも相談出来ないまま本当の自分を出す事なく別れました。

 

仕事もやめました。両親が「一年間、生活費はみるから子供達の為に家にいなさい。子供達には離婚して寂しい思いをさせたのだから」と言ってくれました。新しい職場を探す気力が沸き起こる精神状態では無かった私には感謝しても仕切れないような話でした。

 

休養出来たお陰で私のうつ病は一年間かけて少しづつですが良くなっていきました。一年後には仕事を探そうという気力も湧いてきました。

 

一年間仕事も行かずに家族三人生活出来たのは父親の金銭面の協力があったからです。

 

うつ病とは本当に恐ろしい病気だと思います。自分の気持ちや意思ではどうしようもない無気力なダルい朝。夜には少し回復して次の日こそは頑張れそうな気がするのですがまた朝になると何も手をつけれなくなってしまう。離婚した時点でまた次の仕事をみつけて新しい環境に気を使わなくてはいけなかったのならこんなに早くうつ病からの回復は無かったと思います。

 

金銭面の心配も無く子供達と過ごせれた一年間は紛れもなく父親のお陰でした。

 

父親へ対する笑顔も本物となっていきました。やっぱり父親の過去の行動は私への愛情表現を間違えてしまったゆえの愛だったのだ。誰にでも過ちはある。私が許してあげるべき事なのだと・・・

 

 

 

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